
アンテリジャンスグループ【総代表/税理士】鳴海 佑亮
「導かれて税理士へ」元バンドマンから「障がい福祉業界のインフラ」を目指す 挫折から始まった7年半の挑戦が、障がい福祉の未来を切り拓く
フリー株式会社が主催する士業に関わるすべての人たちが集まる、年に一度の日本最大級イベント「freee Advisor Day 2025(略して、fAD2025)」の特別プロモーション連動企画として、ふらっとがコラボさせていただくことになりました。
本イベントのテーマは「探索」。ユーザーと”ともに未来の可能性を探索し続ける場”として開催されます。
士業の皆さんが日々、どのように課題と向き合い、業務や組織のアップデートを実現しているのか。
ふらっとでは、そのプロセスを”探索の軌跡”として掘り下げるインタビュー企画として、今回、アンテリジャンスグループ 総代表 鳴海 佑亮 氏に取材しました!
元バンドマンが「税理士」という職業に出会うまで
――本日は、アンテリジャンスグループ総代表であり税理士の鳴海佑亮先生にお話を伺います。元バンドマンという異色のキャリアをお持ちの鳴海先生。そこから税理士として独立後「障がい福祉」に特化し、急速に成長した背景や税理士試験合格の秘訣について、じっくり伺いたいと思います。まずは鳴海先生ご自身のご経歴をお伺いします。
私は鳴海佑亮と申します。経歴はご紹介いただいている通り、実はもともとバンドマンとして活動していました。中学2年生の頃に音楽に出会い、大学在学中の21歳のときにCDデビューを果たし、学生でありながらプロのミュージシャンとして活動をしていました。当時はドレッドヘアにしていたこともあり、この時は私含め誰も「税理士」になるなんて思っていませんでした(笑)。
――プロミュージシャンから税理士へ、確かに想像がつきませんが、何か転機があったのでしょうか?
そうですね。プロになったとはいえ全てが順風満帆というわけではありませんでした。紆余曲折があり、23歳のときにバンドを脱退することになったのです。そのときに「これから自分は何をして生きていくのか」と真剣に考えました。そこで浮かんだのが2つの思いです。ひとつは「常に自分を高め続けられる仕事がしたい」ということ。もうひとつは「誰かに頼られる存在になりたい」ということでした。この2つの思いを同時に満たせる仕事は何かを考え抜いた結果、たどり着いたのがコンサルタントという職業でした。
――この2つの思いから税理士に辿り着いたのですね。
はい。この2つの思いを実現できる職業を考えた時、友人から勧められて初めて知ったのが士業の世界でした。弁護士、税理士、社会保険労務士等々。その中でたまたま興味を持ったのが税理士です。税理士なら自分のやりたいことが実現できると考えたのです。コンサルタントになりたくて税理士になっていたタイプですね。
偏差値38からの7年半の挑戦
――税理士試験への挑戦はいかがでしたか?
バンド時代って、プロミュージシャンになると決めてもどうやったらプロになれるのか、どうやったらCDが売れるのか、誰も教えてくれませんし、どこにも書いていなかったのです。しかし税理士になると決めて専門学校に通うと、最初に教科書をいくつか渡されて「この教科書を全て覚えれば、税理士になれます。」と言われました。バンド時代には誰にも「何をすればいいか」なんて教えてもらっていなかった私からすれば、当時は「これを覚えるだけで税理士になれるのか!」と衝撃を受けた覚えがあります。ただ、当たり前ですが現実は甘くありませんでしたし想像を絶する困難の連続でした。
――具体的にはどんな困難がありましたか?
毎日12時間勉強をしていましたが、最初の3年間は全く受かりませんでした。その原因は、偏差値38の元バンドマンだった私に基礎学力が欠けていたからだと気付いたのです。簿記論の計算問題って結局、XとYを使った2次方程式を理解していないと解けない問題があったりするんですよね。このときストレスで尿路結石にもなりました。この時が一番辛かったです。
――とても想像し難いほどの苦しい経験ですね。ここから合格のために行った工夫などはありますか?
一度すべてを捨て、中学数学からやり直しました。0から中学数学を学びなおし、税理士試験で初めて努力とはこういうことなのだと実感しました。同時にこれまで努力を一切したことがなかったということにも気づきました。そこからやっと、本当の意味での勉強を始めて4年目に消費税法に合格しました。税理士事務所で勤めながら、仕事と勉強を両立し、資格を取るまでには7年半かかりましたね。
税理士に「導かれている」と感じた瞬間
――7年半の挑戦期間中、印象的な出来事はありましたか?
何度も「導かれている」と感じる出来事に遭遇しました。私は税理士科目取得の為、大学院を受験したのですが、当時受験倍率は8倍で一度は不合格通知を受けました。しかし翌日、大学院から電話がありました。「実は1人入学辞退が出ました。試験で上位50人が合格者です。鳴海さんは試験で51番目でした。入学可能ですが、入学されますか?」と。この時に、私は税理士になる運命だと確信しました(笑)。
――確かに運命的な出来事ですね。他にもそういった体験がありましたか?
はい、消費税法の試験の時にも「奇跡」が起こりました。
私は税理士事務所で働きながら受験勉強をしていたのですが、その税理士事務所では公益法人を数多く担当していました。そして消費税法を受験した年の問題が「財団法人」についてだったんです。見た瞬間私のための問題だと思いました(笑)。もちろん合格し、ここでも導かれていると思いましたね。
独立、そして障がい福祉との運命的な出会い
――独立後、障がい福祉分野に特化された経緯を教えてください。
当初は「ギラギラしたベンチャー企業の経営者さんを支えたい」という思いが強かったです。ただ、独立前に勤務していた税理士事務所で公益法人を数多く経験していたので、独立初期は差別化のために、「一般社団法人に強い税理士事務所」として打ち出しはしていました。そのとき紹介していただいたお客様がたまたま障がい福祉施設を経営されていたのです。
――最初から障がい福祉分野に積極的に取り組まれたのですか?。
最初は積極的ではありませんでした。私みたいな元バンドマンが障がい福祉?という気持ちもありましたし、当初のギラギラした上場などを目指すような経営者さんを支えたい気持ちもありました。
――何が転機となったのでしょうか?
さきほどの障がい福祉施設の経営者さんと仲良くなり、食事に誘っていただいたときのことです。その経営者さんが運営されている事業所で利用者さんやそのご家族を招いて七夕祭りを開かれたそうです。短冊に願い事を書いてくださいと利用者さんやご家族に短冊を配り、笹へ飾っていると、ほとんどのお母さんが「神様、どうか一日だけ子どもより長生きさせてください。」と書かれていたそうです。その経営者さんが「なぜ、子どもより長生きをしたいのですか?」と尋ねるとお母さんは「この子が私の死後どうなるのか心配で、この子を置いてとても死ねない。だからせめて1日だけでも長く生きて、この子を見送ってから自分が逝きたい。」とおっしゃったのです。そして経営者の方に、「私が死んだあとは、この子のことをお願いします。」と頭を下げられたそうです。この言葉を聞いた経営者の方は、元々ベンチャー気質で倒産してもよい覚悟で障がい福祉事業を始めたものの、絶対に失敗はできないと感じられたそうです。そしてそのお話の後に、私に向かって深く頭を下げて「先生、もう倒産できなくなりました。私の会社のことを守ってください」とおっしゃいました。それが私の心にも深く刺さり、「この会社は絶対に倒産させないぞ」と決心しました。これが障がい福祉へと特化していくキッカケとなりました。
7年間の迷いと「振り切り」の決断
――素敵なお話しですね。それからすぐに障がい福祉に振り切ったのですか。
実は完全に振り切るまでに、さらに7年かかりました。それまでもうち以外、障がい福祉を専門としている事務所はなかったので、問合せはたくさんあり、障がい福祉も得意だからやりますよというスタンスでやっていました。やはり心のどこかでまだ決心がついていなかったのです。
――完全に振り切るきっかけは何でしたか?
転機は5年前の2020年、ようやく売上が1億円に到達し、職員数は10名ほどでしたが、正直なところ伸び悩んでいました。そんなとき、現在の税理士法人代表の高野が障がい福祉の市場規模について調べてきてくれたのです。現在、日本には障がい者の方が日本の人口の10%近い、1,160万人もいらっしゃり、その人数の中で障がい福祉施設は、全国に約14万カ所あります。それにもかかわらず、当時は障がい福祉に特化した税理士事務所がひとつもありませんでした。まさにブルーオーシャンです。さらに調査を進めると国家予算も年々増加され、国も後押ししている分野だとわかりました。これがまさに振り切るきっかけとなりました。
――決断後の変化はいかがでしたか?
障がい福祉事業を丸ごと支援するために税理士だけでなく、社会保険労務士事務所や行政書士事務所もつくり、グループ経営に移行しました。グループ経営をきっかけに伸び悩んでいた事務所の成長が加速し、2021年当時は売上が1億円を少し超える程度、従業員13~14名ほどだったのが、4年で150名規模、拠点は全国に9拠点まで展開出来ました。
専門性が生み出す圧倒的な価値
――既存の税理士の先生がいらっしゃるお客様が、ご依頼先を変えてアンテリジャンスグループを選ばれた方もいらっしゃるのでしょうか?
そういったお客様は実はすごく多いです。障がい福祉の経営者さんからの質問の多くは「どうやったら利用者様を獲得できるか」や、「どうやったらサービス管理責任者の採用がうまくいくか」、「組織作りはどうしたらいい」、「運営指導(旧実地指導)対策はどうすればいいのか」など、一般的な税理士事務所ではまず聞かれることのないご相談が大半です。これらに対応ができる税理士に変更したいとお問い合わせをよく頂きます。
――実際にご契約いただく新規、乗り換えのお客様からの反応はいかがですか?
「障がい福祉施設の運営の話が通じる」というだけでも非常にお喜びのお声を頂くことが多いです。先生のところにお願いして良かった。もう他にはお願いできない。というお言葉を頂いたときには金額では測れない価値を感じて頂けていることに喜びを感じました。
メタバースで実現する「障壁を感じない世界」
――最近はメタバースにも取り組まれているとお聞きしました。
はい。メタバースも当グループの大きな特徴です。私たちは、メタバース福祉都市を作るというプロジェクトも考えています。障がい福祉のインフラになるというビジョンのもと、障がいを持たれている方が不自由を感じない世界を作りたいのです。
――具体的にはどういったときに使用するのでしょうか?
例えば、精神障がい者の方って今私が受けているインタビューのように目を合わせてお話するのが難しい方も多いのですが、メタバースのアバターを通してだったら普通に話せる方はたくさんいるのです。他にも身体障がい者の方が現実世界では会いたい人に会いに行くというのは中々ハードルが高くなりますし、グループホームで生活されている利用者様だと、ご家族が遠方に住んでいたり、ご高齢だと会いに来るためにも体力が必要です。そこで、メタバースを活用すればパソコンやスマホからいつでもご家族に会うことが出来ます。実際にメタバース上にグループホームの空間を再現し、運用も始めているのですが、利用者様やご家族の他に職員同士のコミュニケーションも円滑になり、大変好評です。
障がい福祉特化は前世からの導きか
――鳴海先生は様々なところで導きやご縁を感じられてきたのですね。
そうですね。少しスピリチュアルですが、前世占いをしたことがありまして。そこで前世を聞いたのですがなんと「外国のマフィア」でした(笑)。つまりは悪いことをしていたらしいのですが、だからこそ、「今世は人を助ける、救い続ける人生」だとも言われたのです。その時に、「だから障がい福祉なんだ!」とここでも感じました。
――確かに結びつくところがあるかもしれませんね。
はい。税理士になったのも、障がい福祉に特化したのも全ては導きだったのかな、と今だから思います。
生涯成長への挑戦
――今後の挑戦について教えてください。
私個人としては、具体的な数値目標を掲げており、市場調査の結果、500億円規模まで成長出来ると見込んでいます。私は現在45歳で、60歳での引退を公言しておりますので、残り15年で500億円を目指すつもりです。
――その原動力は何でしょうか?
私は昔から「自己実現欲」が異常に高いのです。頭にあるものを実現したい、実現しないと気が済まないという性格です。プロミュージシャンも、税理士もこの自己実現欲があってこそ、成し遂げられたものだと自負しております。ナポレオンの「思考は現実化する」という言葉が、一番好きな言葉です。
税理士を目指す人への熱いメッセージ
――最後に、税理士を目指す受験生にメッセージをお願いします。
学生時代をバンド活動に費やし、就職活動もしなかった私にとって、「税理士」は唯一「何者でもない」自分から、世界を変えてくれる資格でした。今何者でもない、何もない人にこそ、「税理士」になることをおすすめしたいです。今勉強している人には「諦めなければ絶対になれる!」というメッセージを強く届けたいです。
――ありがとうございます。「諦めなければ絶対になれる」は鳴海先生が実際に体現されているので、受験生の方の心にも深く刺さりますね。
最初の3年は不合格、簿記論は7連敗、29歳までアルバイトの不安な日々でした。しかし税理士登録後、人生は大きく変わりました。それぐらいパワーのある資格だと思います。「とにかく諦めるな!絶対にいつか受かる!」この言葉を受験時代の私のように苦戦している方に届けたいです。
先生のご紹介
鳴海 佑亮 [NARUMI YUSUKE]
アンテリジャンスグループ 総代表
略歴: 税理士。アンテリジャンス・グループ総代表。2013年に鳴海佑亮税理士事務所を開業。2020年に障がい福祉完全特化を決断し、2021年にグループ体制に移行。8法人、全国9拠点、150名規模の大型士業グループに発展。「障がい福祉のインフラになる」というビジョンのもと、障がい福祉事業者とその利用者、ご家族に向けて手厚いサービスを展開している。
所在地: 大阪府大阪市北区西天満2丁目11番8号アメリカンビル5階